My篤姫紀行 その1 堀田老中編
今週から始まった(笑)My 篤姫紀行。
記念すべき第一回目は、なぜか老中堀田正睦(ほったまさよし)です。
いきなりマイナーどころです。。。
あ、でもこの前の増上寺が第一回?
まあそれはさておき、エッシャー展を見に行ったついで道中に、佐倉城址などを巡って来ました。
京急でちょうどエアポート快特佐倉行きが来たので乗り込みました。
2時間弱で到着!船橋辺りまでは早かったですが、それからが長いですね。
まずは京成佐倉駅近くの観光協会でレンタサイクルを借りました。
協会のおばさんと話していたら、パンフレットをいただきました。
佐倉市在住のモンキー・パンチ先生と車だん吉さんのイラスト付きです。
http://www.sakurashi-kankou.or.jp/topics/H19-santarou.html
参考:http://www.sakurashi-kankou.or.jp/topics/kuruma_burari.html
そして腹ごしらえにそばを食べました。独特のもので、小麦粉の割合が高いのか、もちもちしてボリュームがありました。房州屋という店です。とろろそばの舟盛りです。
近くには麻賀多神社がありました。延喜式に出ているというのですから、平安時代建立ですか。
現在の社殿は堀田正睦が再建したそうです。
その後、自転車で5分ほどで武家屋敷へ。古い家が3軒ほどあります。
1件は茅葺き(?)です。茅山荘を思い出しました。
ちょうど「かまど」の写真を取れたので後で法話の記事に貼っておきました。
鎧、刀と文机(?)です。
こんな風に書物を読んでいたのでしょうか。
次は佐倉城址です。武家屋敷からは5分ぐらい?でも坂が急でした。
堀田さん(右)の銅像があります。最近ハリス(左)の銅像も出来たようです。
そして元来た道を戻り、美術館をスルー(!)して、さらに東へ15分ほど走ると旧堀田邸です。
といっても堀田老中が住んでいた訳ではなく、その息子の堀田正倫(まさとも)が明治時代に建てたそうです。
建物は国の重要文化財に指定されています。
中はかなり広いです。庭の芝生がきれいです。
そして最後は、堀田家のお墓参り!
歴代堀田家の方々が眠られています。
堀田正睦公のお墓です。
その後、レンタサイクルが4時までだったので、一旦観光協会へ戻り、歩いて再び美術館へ。
2時間ほど絵を見て(休憩含む)帰りました。
上記のルートはここに出ています。美術館を除きちょうど2時間でした。
http://www.sakurashi-kankou.or.jp/annai/sakura/index.html
堀田正睦のことはあまり知りませんでしたが、なかなかの人物だったようですね。
佐倉藩の財政改革を行い、蘭学を取り入れ、順天堂(蘭医の佐藤泰然が開いた医院兼蘭学塾)を作ったり。
兵制改革を行い、西洋式軍隊を作ったとか。
島津斉彬と通ずるものがありますね。堀田さんも斉彬さんも「蘭癖」(西洋狂?)と呼ばれていたそうですし。
観光協会の資料によると、「佐倉をして西の長崎に比肩する文化の地にした」そうです。
そして観光協会でもらったパンフレットには、「佐倉の三太郎」という堀田正睦、正倫に仕えた三人の武士の話が出ていました。
三人とも名前に太郎が付くので三太郎です。
三太郎のうち、二人は佐久間象山(吉田松陰、勝海舟などの師)の塾に入門していたそうです。
そして佐倉藩の兵制改革や、日米修好通商条約締結時などに実務にあたったそうです。
昨日の続きですけど、やっぱり井伊は堀田を味方に付ければよかったのではないですかね。
実際、井伊の死後、水戸浪士の「天狗党の乱」の際に幕府は佐倉藩に討伐を命じたそうです。
地理的にも水戸の押さえとしてはいい位置ですし。あとは土浦辺りを押さえて。
そして篤姫の線から薩摩とつながっていけば。
まあ、歴史にIFはないですが。。。考察するのは自由ということで。
さて、明日からぼちぼち仏教に戻ります。
でもエッシャーの話も書きたい。。。
記念すべき第一回目は、なぜか老中堀田正睦(ほったまさよし)です。
いきなりマイナーどころです。。。
あ、でもこの前の増上寺が第一回?
まあそれはさておき、エッシャー展を見に行った
京急でちょうどエアポート快特佐倉行きが来たので乗り込みました。
2時間弱で到着!船橋辺りまでは早かったですが、それからが長いですね。
まずは京成佐倉駅近くの観光協会でレンタサイクルを借りました。
協会のおばさんと話していたら、パンフレットをいただきました。
佐倉市在住のモンキー・パンチ先生と車だん吉さんのイラスト付きです。
http://www.sakurashi-kankou.or.jp/topics/H19-santarou.html
参考:http://www.sakurashi-kankou.or.jp/topics/kuruma_burari.html
そして腹ごしらえにそばを食べました。独特のもので、小麦粉の割合が高いのか、もちもちしてボリュームがありました。房州屋という店です。とろろそばの舟盛りです。
近くには麻賀多神社がありました。延喜式に出ているというのですから、平安時代建立ですか。
現在の社殿は堀田正睦が再建したそうです。
その後、自転車で5分ほどで武家屋敷へ。古い家が3軒ほどあります。
1件は茅葺き(?)です。茅山荘を思い出しました。
ちょうど「かまど」の写真を取れたので後で法話の記事に貼っておきました。
鎧、刀と文机(?)です。
こんな風に書物を読んでいたのでしょうか。
次は佐倉城址です。武家屋敷からは5分ぐらい?でも坂が急でした。
堀田さん(右)の銅像があります。最近ハリス(左)の銅像も出来たようです。
そして元来た道を戻り、美術館をスルー(!)して、さらに東へ15分ほど走ると旧堀田邸です。
といっても堀田老中が住んでいた訳ではなく、その息子の堀田正倫(まさとも)が明治時代に建てたそうです。
建物は国の重要文化財に指定されています。
中はかなり広いです。庭の芝生がきれいです。
そして最後は、堀田家のお墓参り!
歴代堀田家の方々が眠られています。
堀田正睦公のお墓です。
その後、レンタサイクルが4時までだったので、一旦観光協会へ戻り、歩いて再び美術館へ。
2時間ほど絵を見て(休憩含む)帰りました。
上記のルートはここに出ています。美術館を除きちょうど2時間でした。
http://www.sakurashi-kankou.or.jp/annai/sakura/index.html
堀田正睦のことはあまり知りませんでしたが、なかなかの人物だったようですね。
佐倉藩の財政改革を行い、蘭学を取り入れ、順天堂(蘭医の佐藤泰然が開いた医院兼蘭学塾)を作ったり。
兵制改革を行い、西洋式軍隊を作ったとか。
島津斉彬と通ずるものがありますね。堀田さんも斉彬さんも「蘭癖」(西洋狂?)と呼ばれていたそうですし。
観光協会の資料によると、「佐倉をして西の長崎に比肩する文化の地にした」そうです。
そして観光協会でもらったパンフレットには、「佐倉の三太郎」という堀田正睦、正倫に仕えた三人の武士の話が出ていました。
三人とも名前に太郎が付くので三太郎です。
三太郎のうち、二人は佐久間象山(吉田松陰、勝海舟などの師)の塾に入門していたそうです。
そして佐倉藩の兵制改革や、日米修好通商条約締結時などに実務にあたったそうです。
昨日の続きですけど、やっぱり井伊は堀田を味方に付ければよかったのではないですかね。
実際、井伊の死後、水戸浪士の「天狗党の乱」の際に幕府は佐倉藩に討伐を命じたそうです。
地理的にも水戸の押さえとしてはいい位置ですし。あとは土浦辺りを押さえて。
そして篤姫の線から薩摩とつながっていけば。
まあ、歴史にIFはないですが。。。考察するのは自由ということで。
さて、明日からぼちぼち仏教に戻ります。
でもエッシャーの話も書きたい。。。





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